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ロイ・ホワイトファンの交流ブログ
by rhiltonw-tms
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第五十一章1982年〜アンチ巨人の父も認めたロイ・ホワイト〜

今日は父の日。それに因み、今回は私と父の心温まる?ロイ・ホワイト絡みのエピソードをご紹介。

私の父は大正14年生まれの現在84才。高齢ではあるが特にこれといった病気もなく、年齢よりも10才以上若く見え、その道60年?の仕事をまだ続けている。私も同業者だが、職場は全く異にしている・・・・・・

父は東京生まれの東京育ち。戦時中の青春期も東京で過ごし、疎開は経験していないらしい(B29とマッカーサーを見たことがあるらしい)。因みに、医療関係の学校に入学したため、゛赤紙゛を免除されている。

父は、子供の頃から゛変わり者゛であったというのが、親族の一致した意見である。たまに父方の親族が集まる時には、父の不可解な言動に対し「何で?どうして?」の声が度々聞かれる。それに対し更に父が、天の邪鬼としか思えない屁理屈をこねるのが゛お約束゛の光景である。

そんな父の趣味は割と高尚で、まずクラシック音楽やオペラの鑑賞(ピアノを少し弾ける)で、以前はよく著名な音楽会やオペラを聴きにいっていたものだ。また、TV鑑賞のみだが歌舞伎にも詳しく、歴代の名役者達の顔と名前が一致するのには関心する。

その一方゛お笑い゛も大好きで、休日には昔のいわゆる寄席番組を一緒に見たものだ。私が子供の頃は、゛コント55号゛が父のお気に入り。落語家では゛柳家小三治゛。歌手に関しては、紅白歌合戦に゛ダークダックス゛が出場しないことを、毎年のようにぼやくのだった。

そんな父にとって、観るスポーツの楽しみは、野球、相撲、拳闘である(父の時代はこれしか無かった?)。
因みに、父は絶対にボクシングとは言わず、あくまでも゛拳闘゛。今でもたまに会うと、「この前の拳闘見たか?相手が弱すぎて面白くなかったよなあ!」ってな調子である。

それらのスポーツを、物心ついた頃から見聞きしていたとすると、70年以上の観戦歴?野球も拳闘も国内でのプロの歴史は70年余であるから、そのほとんどをリアルタイムで知っていたことになる。実際、そのキャリアに恥じない評論(辛口?へそ曲がり?)をする(職業野球のみならず、六大学野球等にも詳しい)。

中でも野球は、父も少年時代から、゛草゛ではあるものの、そこそこの経験があるらしく、何でも父が26才の時に仕事関連の野球大会でMVPに選ばれ、記念品のバットを授与されたという自慢話を、過去に何度も聞かされた私。それだけに、なかなかの゛評論家゛ではあるが、一緒に観戦しているとけっこう喧しい・・・・・


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父はパ・リーグ党の南海ホークスファン、そしてアンチ巨人。1リーグ時代からの南海黄金時代を熟知している。しかし、私が草野球に興じ始めた小学生時代は巨人のV9時代。巨人・大鵬・卵焼き改め、巨人・貴ノ花・ハンバーグ???そして南海の黄金時代は過去の栄光?

父は、私と野球の話になると「お前は巨人のことしか知らないんだから!」が口癖であった。当時私は、巨人の控え内野手、上田武司のファンであったのだが、それを知った父は、「お前は変な選手が好きだなあ!」などと言っていたものだ(上田さんごめんね!)

野球とは関係ないが、鮨屋に行って私が青柳鳥貝を注文すると、「お前は変なもん好きだな〜!」とも言っていた・・・・・・

第五十一章1982年〜アンチ巨人の父も認めたロイ・ホワイト〜_b0095470_1745442.jpg
また、巨人と南海の因縁については、所謂゛別所引き抜き事件゛の他、「長嶋は本当は、杉浦と一緒に南海に入ることが決まってたんだぞ!」等々、熱く語っていたものだ。数年前に、契約前の選手が何処かの球団から金品を貰っていた事が問題となったときも、「長嶋だって南海からお小使いもらってたんだぞ! 」と教えてくれた。

したがって、゛江川事件゛のときなんか、それはそれは大変な剣幕であったことは言うまでもない・・・・

やがて、長嶋が引退し、巨人苦難の時代が始まり、80年にはホワイトが来日。父はホワイトについて暫くの間は「何かまた、パッとしない外人が来たな。巨人は相変わらず・・・」的な捉え方をしていたようだった。私はホワイトの来日間もない頃、「ホワイトはヤンキースの一流の大リーガーで、ニューヨークで名前を知らない人はいないと言われるくらいの選手だよ」と教示したものだ。そして父の返事は「へ〜」だった。

そして、81年もペナントレース中、父はあまりホワイトに関心がない様子であったが、日本シリーズでのあの逆転本塁打は強烈なイメージを父に与えたようだった(第ニ十八、二十九章参照)。父は後になっても、日ハムの間柴が登場した際などに、あの本塁打の重要性を語るほどだった。

実はそれでも、私は父に自分が゛ロイ・ホワイトファン゛であることは隠していた。上田武司の件もあり、何となく言い辛かったのだが、82年夏場、父と一緒にTV観戦中のある日。大活躍をするホワイトが打席に立つと、父は「これ、ホワイトは良い選手だよな!良いところで打つんだよ!同点ホームランよく打つんだよな!」

私は少し驚いたが、もちろん嬉しかった。私が父以外の家族に、自分がホワイトファンであることをカミングアウトしたのは、その年の開幕戦を旅行先でTV観戦した時だった(第四十章参照)。おそらく父は、そのことを母から伝え聞いたのに違いない。
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その後、別の試合でもホワイトが快打を飛ばすと父は「ホワイト打つね〜!」
西武で活躍するスティーブが、シーズン終盤で本塁打が9本であることに気がついた父が「あれ?スティーブは9本しか打ってないのか?」それに対し私は「9本でも良いところで打ってればね!」更に父が「うん、ホワイトみたいにな!」

またプロ野球ニュースを見ている際、父の興味深い評論が聞かれた。それは、ニュースで取り上げられるような、試合のポイントになる重要なシーンで、何らかの形でホワイトの姿が映ることが多いということだった。つまり、例え安打が出なくても、四球や死球、エラーでの出塁や、進塁打などが、重要な得点をもたらしているというのだ。

シーズン終盤も続くホワイトの活躍をみて、父は「ホワイトはきっと来年も残れるな」とも言ってくれた。

ホワイトの素晴らしさを父が理解してくれた時、父が初めて私の価値観を認めてくれた気がしたものだった。そして、父の野球を見る目が確かなこと、更には、ホワイトの素晴らしさが再確認されたことは大きな喜びであった。

私達親子の心のふれ合いに、一役買ってくれた?ホワイトに心から感謝したい。
第五十一章1982年〜アンチ巨人の父も認めたロイ・ホワイト〜_b0095470_1711052.jpg

by rhiltonw-tms | 2009-06-21 17:17 | Comments(2)
Commented by roy.ogawa at 2009-06-22 04:11
今日は父の日、お父さんのエピソードにロイ親子の写真はいいタイミングですね。今日は49日で納骨を終えました。今から私が一家の柱です。お父さんはなかなかの理論家みたいですね。
ONといえども球団から雇われた立場、江川問題(長嶋)、昨年のソフトバンクは外人の二重契約でパウエルを横取り、それはちょと・・・といった本音が聞きたかった。シーズン開始時にソフトバンクはだめだな、とサークルのメールで予言したが、見事に当たりました。

家の父も優秀な部分もあったのですが、世間の事は私が教える
ケースが多かったなぁ。父は根本的に性善説だったみたいです。
私は逆に性悪説で、まず疑くないってかかる。(面白くない性格
ですね。(^o^) ) 今後は考え方に余裕を持ちたいと思う。
Commented by rhiltonw-tms at 2009-06-23 23:50
ご指摘の通り、父は良く言えば「理論家」、平たく言えば「理屈っぽい」?・・・ブログでは書き漏れましたが、南海の野村克也氏の゛信者゛。また、巨人を追い出された?広岡達郎氏も゛好みのタイプ゛です。その他には゛刑事コロンボ゛を崇拝?しています。父は自身を、コロンボ的知性派だと思っている節があります・・・・・
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