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ロイ・ホワイトファンの交流ブログ
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第八十三章1982年~週刊朝日、山藤章二の似顔絵塾より~
82年のシーズン終了後、ホワイトの去就に関する報道を待ちわびる私。その時期に、週刊朝日の連載企画「山藤章二の似顔絵塾」で、ロイ・ホワイトの似顔絵を見つけた私。

因みに我が家では、自宅にて朝日新聞と週刊朝日、そして父の職場では日刊スポーツを取っていたのだが、父が持ち帰って来てくれる日刊スポーツのみならず、週刊朝日も私の愛読書?のひとつであった。「似顔絵塾」は、81年から始まったものと記憶している。

さて、そのホワイトの似顔絵はと言うと、左打席でスウィングする特徴的姿ではあるものの、その顔が何故か動物のサイなのである。過去にその口元の特徴から「ドナルドダック」(今ならAKB48とやらのアヒル口か?)や、グラウンドでの働きぶりから「キャメル」の評価があったが、今度はサイざんす?                                                    

そして、山藤氏による講評が添えられているのだが、絵に対する講評は全く記憶にない(作者様、ごめんなさい)。しかしモデルとなったホワイトへの講評は今でもはっきりと覚えている。それは、以下の通りである。

・・・それにしても、終盤のホワイトは良く打った。相手チームの投手には、さぞかし憎たらしいサイに見えたことだろう

どうやら山藤氏にも、ホワイトの大活躍は強烈なイメージを与えたようである。

尚、今回のブログ投稿を前にして古書を検索し、「スーパー源氏」にて「似顔絵塾」の傑作集(82年11月出版)を見つけ購入したところ、残念ながら゛サイ・ホワイト゛は掲載されていなかった。

しかし、ありがたいことに他の似顔絵が1点、掲載されていたので紹介したい。



ホワイトの横顔を上手く捉えた作品である。確か、前出のサイ・ホワイト横顔を描いたものであり、いずれも鼻の形態に特徴を見出していたように思う。

ところで、この作品にもホワイトに対する講評が書かれているのだが、それは私にとって好評ではなかったので、あえて公表しないのであしからず・・・
# by rhiltonw-tms | 2012-01-18 01:53 | Trackback | Comments(2)
第八十二章1982年~無念の巨人、最終戦で中日優勝決定!~
10月15日の対ヤクルト戦に勝利し、翌16日からの対大洋3連戦(横浜)を残すのみとなった中日は、あと2勝もしくは1勝1分けで逆転優勝が達成される状況となる。

その初戦を3-2で勝利した中日陣営は、恐らく想像を絶する疲労とストレスの中にあり、とてもじゃないが翌日の2戦目を捨て試合にして、最終戦に賭ける余裕など無かったであろうことは想像に難くない。出来れば連勝で一気に優勝を決めたかったに違いない。

しかしフランチャイズの横浜大洋は、対巨人最終戦と同様に、シーズン5位らしからぬ?底力を見せ、3-1で勝利する。

フランチャイズの大洋にとって、最終戦まで話題性を繋いだことは、興業的に見て大成功(入場者数、視聴率、etc)とも言える。私が大洋球団社長ならば、最終戦の結果は関係なしに、大洋の選手、首脳陣に特別報酬を約束したことだろう。

因みに、10月18日の最終戦入場者数は3万人。もちろん満員御礼である。

当日、私は大洋の勝利を願ってTVに釘付けとなったことは言うまでもないが、この日の大洋は、全ての巨人ファンを失望させることとなる。
まず何よりも、大洋は前日終了時点で首位打者の長崎(打率.351)を欠場させ、1厘差で追う中日の一番打者、田尾を全打席(5打席)敬遠という戦法を採り、大ひんしゅくを買う

巨人にとって、不運とも思える熾烈な首位打者争いであるが、実はそうではないようである。手元の資料によれば、この3連戦に入る前の時点で長崎は.352で打率トップ。そして2位の田尾が.344と8厘差があったのだが、長崎が初戦は代打での1打席のみ、2戦目は欠場する間、田尾が何と2試合で8打数6安打と猛打を振るい、長崎に肉迫したのである。

つまり、田尾がチームの優勝のため、そして首位打者獲得のために全力を尽くした結果が、最終戦で中日に有利な状況をもたらせたとも言えるのである。

最終打席の5打席めには、故意に二度空振りし、せめてもの抵抗?を試みた田尾。優勝の行方が決定する試合で、個人タイトル争いのために関根潤三監督が下した5打席連続敬遠の指令は、当然物議を醸した

そして試合は8-0の大差がつき、中日先発の小松が完封勝利を収め、リーグ優勝を決める(最後の打者はラムで、空振り三振とのこと)。




試合後のインタビューで両手を挙げる近藤貞夫監督。最後まで優勝を争った、巨人の藤田元司監督と同様、すでに他界されている。




日本シリーズは、10月30日の第6戦を9-4で勝利した西武ライオンズが、対戦成績4勝2敗で日本一をもぎ取る!







胴上げで宙に舞う広岡達郎監督。










最後の最後の一勝の差で、優勝を惜しくも逃したと言える巨人。それに伴い、ホワイトの去就が心配な私は、その報道を待ちわびることとなる・・・・

# by rhiltonw-tms | 2012-01-02 03:40 | Trackback | Comments(3)
第八十一章1982年~ヤクルトVS中日観戦記at神宮
1982年10月9日の最終戦を落とし、中日とのゲーム差1.5でシーズンを終了した巨人。一方、残り8試合で逆転優勝(5勝3敗or4勝3敗1分で成就)を目指す中日は、10月10日に対ヤクルト戦(名古屋)を4-6で落とすも、翌日の11日に対阪神戦(名古屋)を6-3で勝利して巻き返す。

そして12日の同カードでは5-11と破れるも(阪神は広島との3位争い中!)、13日の対広島戦(名古屋)は4-1と勝利する。

3チームを相手の4連戦を2勝2敗で足踏み?の中日は、中一日おいての4連戦に全てを賭けることとなる。その初戦、神宮球場での対ヤクルト戦を、私は高校時代の同級生(医学部志望のS君)と観戦する。因みにヤクルトはこのシーズン最下位。そして、続く3試合の相手はブービー賞の大洋・・・・・・・・

おそらく球場での観戦を当日に思い立った私達は、夕方に当日売りのチケット売り場の長蛇の列に並ぶ。思えば神宮球場は、私が生まれて初めてプロ野球の試合を観戦した場所である。それは確か小学4年生。当時まだ独身貴族だった叔母(母の妹:現在はご主人と北九州市在住)に連れて行ってもらった、ヤクルト対大洋のダブルヘッダーだった。因みに、スタンドはガラガラだったことは確かである・・・・・

そのダブルヘッダーの試合内容はまったく覚えていないが、高校生くらいの゛お兄さん゛二人が声を合わせての野次、「別当監督、ベッドで寝てろ~!」の妙な面白さと、売店で買ったラーメンの不思議な美味しさが今も記憶に残る私。

話を82年に戻すと、右翼席のチケットを購入した私達。座席は中段あたりで、前方には岡田団長率いるヤクルト私設応援団(ツバメ軍団)が陣取っている。後楽園ではお目にかかれなかった岡田団長は、試合開始が近付くとすっくと立ち上がり、「ハイ、皆さ~ん!今日も宜しくおねがいしま~す!」みたいな感じで応援団員に元気な声をかけ、団員以外からも大歓声と拍手が沸きあがる・・・のだが、

その直後、団長が突然険しい表情で前方の席に座る男性を指差し、笛を「ピピピピ~ッ!」。皆が目をむけると、その男性は横断幕を拡げているのだが、そこには巨人を応援する文字が書かれているのだった。すると応援団から一斉に「か~えれっ!か~えれっ!」の大合唱。

その男性は、もちろん横断幕をすぐにしまい込んだはずだが、その日超満員の神宮球場には、かなり多くの巨人ファン達が我々と同様「お忍び」でヤクルトの応援に訪れていたことは言うまでもない。

さて、はっきり言って試合の結果だけが全ての私は、その゛経過゛の記憶はまったく無い。唯一思い出されるシーンは、ヤクルトの゛誰かさん゛が打った右翼前安打を、中日の右翼手の゛どなたか゛が後逸し、打球がフェンス際まで転がった事のみである。

それはその試合で、ヤクルト応援団のみならず、多くの ゛忍びの者達゛が最も盛り上がったプレーであると言っても過言ではない。

この試合に関し、手元の資料、ネットなどで得られる情報は、日付け、球場名、そして中日が3-2で勝利したことだけである。巨人以外のチームの当時の詳しい情報を探るのは、なかなか困難なのである・・・・・

ところで、この試合を中日が1点差で勝利していた事は、1~2年前に入手した「週刊プロ野球 セ・パ誕生60年」の1982年版から得た情報だが、意外な接戦であったのだと今にして思う私である。
これで中日の優勝条件は、翌日からの対大洋3連戦で2勝1敗もしくは1勝1敗1分となったのである。

最後に、試合後の出来事で思い出される光景を一つご紹介。
それは、善戦健闘も空しく惜敗したヤクルトの選手に対し、ヤクルト応援団がエールを送った後の事である。岡田団長「それじゃ~次は、がんばれ中日行きま~す!」と指示を送ると、「お~っ!」と反応する右翼席。

そして、「がんば~れ!がんば~れ!ちゅ~う~に~ち!」「がんば~れ!がんば~れ!ちゅ~う~に~ち!」の大合唱!

すると左翼席の中日応援団から大歓声が沸き起こり、今度はもちろん゛あちら゛から「がんば~れ!がんば~れ!ヤ~ク~ル~ト・・・・」の大合唱!

高校野球の応援さながらのシーンに、心が温まった私である・・・・
今は亡き岡田正泰団長(2002年7月30日没)合掌!
# by rhiltonw-tms | 2011-11-26 23:06 | Trackback | Comments(2)
予告編 1982年~ヤクルトVS中日観戦記at 神宮!
1982年の全日程を終了した巨人。優勝の行方は、その後の中日の成績に委ねられた。
私は神宮球場に足を運び、ヤクルトファンになりすまし?右翼席で観戦することとなる!

都合により、予告のみです。悪しからず m(_ _)m

# by rhiltonw-tms | 2011-11-20 18:03 | Trackback | Comments(2)
第八十章1982年~ロイ・ホワイトのラストゲイム~final!
10月5日に巨人が大洋に破れ、二位中日の逆マジックは残り10試合で8となっていたが、その後中日は翌6日にヤクルトに勝利。続く7日には阪神に勝利して逆マジックを6(残り8試合)とし、逆転優勝への望みを繋いていた。

そして向かえた10月9日の巨人最終戦。巨人は、二年連続の20勝&最多勝を目指す、エース江川が先発。そして対する大洋は、゛新エース゛の遠藤一彦。

因みに、この日は終盤戦定番のデーゲームにも関わらず?゛日射病゛(熱中症?)江川が先発し、尚且つ遠藤が得意という、強い風が吹く薄ら寒い日であった。

更に巨人は、主力の中畑、河埜を怪我で欠くというハンデキャップを背負って、「大事な大事な最終戦」を戦うこととなる。

実況アナ(テレビ朝日)の話だったと思うが、王助監督が試合前、前年度に巨人に在籍して引退した大洋の松原コーチを呼び止め、「オイ、松原!今日はウチにとって、どういう試合か分かってるだろうな?」と話しかけ、対する松原は「ウチは全力で戦いますよ!」とやり返したとか・・・・


因みに、生涯初の3割を目指すホワイトは(前章参照)、10月5日の試合で足踏みし、打率.290でこの日を向かえていた。目標達成のためには、5打数5安打以上を必要とされる極めて厳しい条件であるばかりでなく、うっかりすれば、2割8分台で終わる可能性も秘めていた。





そしてそのホワイトの第1打席。
初球を見事に捕える!

















気の合う大リーグ歴14年のラムちゃんと、いつもの打撃談義!打率は.293に!


手元の資料によると、この試合で先制点(1点)をあげたのは巨人だが、このホワイトの出塁が絡んでいたかどうかは、残念ながら不明である。 

その後の試合経過は、四回裏に江川が ゛オバQ゛田代に同点本塁打を浴び、更にはラムちゃんにも本塁打を浴びて1対2と逆転される。

そして五回裏にも、守備の名手山下大輔に1点本塁打を打たれた江川は、西本聖と交代して降板。エースのもう一つの持病「一発病」によって1対3と突き放され、窮地に立たされる巨人。

マウンドに集まる巨人内野陣。怪我で欠場の中畑、河埜の姿は、もちろん見られない。




第二打席で凡退して打率を.292に落とし、3割達成は極めて困難となったホワイトは、三打席目を向かえる。今度は、二遊間を渋く抜く中前打で出塁する。

 















勝ち越し本塁打のラムちゃんと塁上で再会!
後続の打者は、ホワイトを返せず・・・・


1対3のまま八回表を向かえ、一死無走者で第四打席を向かえるホワイト。


マウンドには、ストッパーの斉藤明夫が立つ。ホワイトは80年に、この斉藤からサヨナラ本塁打を放っているが、82年はこれまで8打数無安打と封じ込められていた。しかし、大事な試合で見事な右前安打を放つ!









してやったり!のホワイトの表情が実に良いが、やはりこの出塁を後続が生かせず・・・・


打線が繋がらない巨人は、結局1対3で破れ、全日程を終了。この日は試合の無かった中日は、残り8試合でマジック5となり、逆転優勝の可能性がグッと高まったのであった。

ところでホワイトは、目標の3割達成はならなかったものの、重要な試合で4打数3安打。大リーグ時代のキャリアハイと同じ.296でシーズンを終了したことは、流石!である。

そして、その後の中日の残り8試合の行方や如何に!
# by rhiltonw-tms | 2011-10-09 14:58 | Trackback | Comments(4)
第七十九章1982年~ロイ・ホワイトのラストゲイム~part1
10月5日の対大洋戦に敗れた巨人は(第七十八章参照)、中3日をおいての10月9日に最終戦を向かえる。相手はまたもや大洋。場所を横浜スタジアムに移しての総力戦!と言いたいところだが、何と巨人は主力の中畑と河埜を怪我で欠き、攻撃と守備両面での戦力低下は必至の状態であった。

河埜の怪我の詳細は不明だが、中畑は9月5日の対大洋戦でのものらしい。当ブログで時折エピソードを紹介している我が父(徹底的にアンチ巨人)に言わせると、中畑は「おっちょこちょい!」

その評価の決め手になった出来事も、おそらく81年の怪我であろう。期待のプリンス・原辰徳が入団するもポジションがない。首脳陣苦肉の策が「セカンド原」であった。まだプロでの実績のない ゛グリーンボーイ゛にフィールドから追い出された篠塚は、相当にふて腐れていたことは間違いないが、そんな篠塚の救世主が間もなく現れる。

それが「おっちょこちょい」その人である。試合で骨折?した彼の変わりに「サード原」誕生。そして目出たくお家芸・セカンド篠塚が復帰と相成った。

やがて中畑は復帰するも、彼が古巣に戻ることは許されず?ファーストにコンバート。そして今度はファーストから追い出された山本功が外野に回り、外野手のポジション争いが更に熾烈になったのである。となると、ホワイトも被害者か?・・・

そして時は移り、82年の最終戦。大事な試合で「おっちょこちょい」不在。そして信頼度がかなり高い河埜までもが・・・余談だが、ホワイトの愛息リード君は、良く遊んでくれた河埜の事が大好きだったらしい・・・





ところで、我がロイ・ホワイトは自身の残留を確定するためにも、巨人を優勝させるべく全力を尽くす事は言うまでもないが、最終戦で心に期するものが他にもあったという。

それは、大リーグ時代に成しえなかった打率3割であった。ホワイトが大リーグ時代に最も3割に接近したのは1970年の.296。前半戦では絶好調で首位打者の時期もあり、オールスターにも選出されて前半戦を折り返したものの、終盤に調子を崩し、3割を下回ってしまったという。

82年のホワイトは、前半戦に出場機会が少なく、先発メンバーに復帰してからも巨人優位で終盤を向かえると、守備固め要員の中井らと交代してお役御免となる事が多く、1試合で4打席を超えることは少なかった。

そのために規定打席には達していなかったのだが、打率3割について「イチ」こと田沼通訳と賭けをしていたという。この田沼通訳との賭けについては、81年にも聞いた記憶があり、もしかすると3年間を通じて行っていたのかもしれない。


因みに賭けの内容は、3割を達成した場合は田沼氏がホワイトに食事をおごり、達成出来なければホワイトが田沼氏に食事をおごる、というものだったという。
もちろん田沼氏は、自分がホワイトにおごる事を待ち望んでいたことは間違えない。

3割と言えば82年の夏場、4番打者としてチームを牽引していた時期に打率3割に到達した時、いつもながら謙虚な言動をするホワイトに対し、「何も遠慮することはない、キミは3割打者なのだから!」とエールを送る記者(評論家だったかな?)の記事を雑誌で読んだ記憶もある。

・・・とここまで書いたところで、本章はここまでにさせていただきたい。ホワイトの現役最後の試合かと思うと気合いが入りすぎ、前置きが長くなってしまったことをお詫び致します。m(_ _)m


# by rhiltonw-tms | 2011-09-19 17:06 | Trackback | Comments(3)
~予告編~有終の美、ロイ・ホワイトのラストゲイム!
1982年10月9日、横浜スタジアムにて大洋を相手に最終戦を向かえる巨人。この試合で何としてでも勝利をもぎとり、二位中日の逆転優勝への望みを絶ちたいことは言うまでもない。

巨人は、二年連続20勝を懸けて江川卓が先発。対する大洋は、新エース?の遠藤である。そして我らがロイ・ホワイトは、もちろん巨人優勝のため、そしてそれに伴う来季契約確定のために全力を傾けるのだが、更にもうひとつの目標があったという。それは、大リーグ時代に成しえなかった、打率3割である・・・・

# by rhiltonw-tms | 2011-09-11 20:23 | Trackback | Comments(2)
第七十八章1982年~優勝を賭けたFinal Week~Semifinal!
前日の9月4日、惜しくも大洋と引き分けに終わり、中日の逆マジック(残り11試合で8 )減少をアシストしてしまった巨人に、残り2試合の対大洋戦で連勝することが望まれたことは言うまでもない。



引き分けに終わった9月4日、原の同点2点本塁打を呼び込む出塁をしたホワイト。仲良しラムちゃんと語り合ういつもの光景。






巨人にとって、82年ペナントレースの semifinal となる9月5日の対大洋26回戦。巨人の先発は定岡であったことは確かであるが、対する大洋の先発および試合経過は、残念ながら詳しい資料がなく不明である。

結果は、6対9で大洋が勝利。勝ち投手は五月女豊、負け投手が定岡。セーブは前日にもストッパーを務めた斉藤明夫(セ・リーグ新の27セーブ目)に付いた。

因みに中日は、同日にヤクルトに敗れたため、逆マジックは1つのみ減って7(残り10試合)となる。

Final Weekの4試合で勝ち越し必須だった巨人は、3試合で1勝1敗1引き分けと足踏み状態。

そして、中3日を置いての最終戦(10月9日)の対大洋戦に全てを懸けることとなる。

この時メディアは間違いなく、あの決まり文句「泣いても笑ってもあと1試合!」と言っていたことは間違いない!・・・・

尚、当時私が新聞で確認した記憶では、ホワイトはこの semifinal で無安打という残念な結果だった気がする。そして、シーズン終盤で.294~.296で推移していた打率は、.290まで下がってMain Eventを向かえることとなる。
# by rhiltonw-tms | 2011-08-28 16:33 | Trackback | Comments(2)
第七十七章1982年~優勝を賭けたFinal Week、VS大洋~part2
82年10月4日、Final Week の初戦を江川の好投&篠塚の好打で大洋に勝利し、幸先の良いスタートを切った巨人。翌10月5日の対大洋3連戦第2戦は、巨人先発西本聖、大洋は平松で始まった。

9月29、30日を連投した西本は、雑草の真価を発揮すべく力投を見せるも、5回、6回に一点ずつを献上し、2対0とリードを許す。

そして6回裏の巨人の攻撃で、ダンディ・ホワイト登場!


前打者の篠塚が荒らした?ボックスの土を足でゆっくり丁寧に均すホワイト。いつも通りに落ち着き払い、慌てず騒がず。

対するマウンドの平松は、待たされて手持ち無沙汰な様子が窺がえる。




やがて静かに構えに入るホワイト。






そして第1球!
平松小次郎「遅いぞホワイト!」











ホワイト武蔵「ヒラマツヤブレタリ~!」???










渋い右翼前ヒットで出塁。









後ろ姿も渋いロイさん!





そして、続く若大将・原辰徳が、左翼席への第32号本塁打をかっ飛ばし、2対2の同点に!


チャンスメイカーも得意技の一つであるホワイトは、見事にそれを活かしてくれた若大将をホームで向かえる。やはりホワイトが出塁すると、何かが起きる!

しかし、その後は巨人が角、大洋は斉藤明が好投して互いに追加点をあげられず、引き分けに終わった巨人。

気になる中日は、ヤクルトに勝利してマジックを8(残り11試合)とした。
この試合の後、巨人トロイカの参謀牧野コーチが報道陣に、「この引き分けは、うちに有利なんだな?そうだな?」と確認していたと、中継のリポーターが語っていた記憶があるが、首脳陣も追い詰められていた様子が伺えるエピソードである。




# by rhiltonw-tms | 2011-08-20 23:37 | Trackback | Comments(2)
第七十六章1982年~優勝を賭けたFinal Week、VS大洋~part1
82年のペナントレースは10月を向かえ、対大洋との4試合を残すのみの巨人と、13試合を残す中日とのゲーム差は僅か1.5。残り試合の多い二位中日に所謂「逆マジック」10が点灯する中、巨人はLast Weekに優勝を懸けることとなる。

10月3日、後楽園球場での三連戦初戦。巨人先発は、それまで何と3連敗のエース江川。対する大洋は、ホワイトの好敵手としてお馴染の?遠藤。

巨人は一回裏、内野安打の鈴木康友を一塁に置いて、篠塚が右翼への2点本塁打を放ち先制。そして四回裏には、一死一三塁から「意外性の男」山倉が右中間を抜く二塁打で1点を追加。更には七回に、再び山倉が持ち味を発揮?右翼フェンス直撃二塁打で出塁した後、代打柳田の適時打により生還。






ホワイトのお株を奪い?遠藤から見事な本塁打を放った篠塚を笑顔で迎える。近年はハイタッチが主流だが、当時はミドルタッチ?






4点の援護を受けたエース江川は大洋打線を被5安打、無四球(セ・リーグタイ記録のシーズン10度目)で完封し、「名誉挽回」&「汚名返上」。巨人は4対0の見事な勝利。一方、中日はヤクルトに敗戦し、ゲーム差は2.5となる。

因みに、優勝の行方をマジックで考えれば、残り3試合の巨人が全勝した場合、残り12試合でマジック10の中日は2敗までしか許されない厳しい状況。
巨人が2勝であれば中日の許容範囲は3敗まで。巨人が1勝止まりなら中日は4敗までが許容されるという、非常に「ビミョー!」な状況であった。

ところで、我らが四番ロイ・ホワイト。この試合では残念ながら4打数無安打と音無しの構え?しかしながら、ホワイトが「あのフォークボールは大リーグで通用する!」と太鼓判を押した「エンドーサン」は、過去に幾度も痛打されたホワイトの前に走者を貯めたくない一心で力が入り、今度は篠塚に痛打を浴びてリズムを崩したのが敗因と、勝手に決め付けている私である・・・・

# by rhiltonw-tms | 2011-08-13 00:12 | Trackback | Comments(2)
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